第2回 食の外交官 – これから公邸料理人を目指す人へ

公邸料理人という職業をご存じだろうか。在外公館長の公邸に勤務し、大使、総領事とその家族の食事の他、ナショナルデーを始めとする公的な会食の調理を担当する料理人だ。レストランKIHACHIの総料理長・熊谷喜八氏や、RISTRANTEアルポルトの片岡護氏、オテル・ドゥ・ミクニの三國清三氏は、現在第一線で活躍する元公邸料理人。帝国ホテルの故・村上信夫氏も経験者である。華やかなイメージのあるこの職業、実は常に人材が不足しているという。それは一体なぜだろう。

野口修平・奈美夫妻

昨年末、ペルー公邸料理人の野口修平・奈美夫妻に話を伺う機会を得た。株丹達也前・駐ペルー日本国特命全権大使の帰任に伴い、先月本帰国された野口夫妻だが、「これからこの仕事に就きたいという人のために」と、体験談から問題点まで幅広く語ってくれた。

野口修平さんのプロフィール

  • 1979年3月9日栃木県生まれ。98年3月武蔵野調理師専門学校を卒業、翌月シェラトン入社。同年9月オープンの横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズ洋食調理部門に配属、フランス料理を学ぶ。
  • 2006年8月31日に奈美さんと結婚、9月ブラジル・リオデジャネイロ総領事館に公邸料理人として着任。
  • 2009年7月契約終了後、本帰国。元の職場(シェラトン)に戻る。
  • リオデジャネイロ時代に仕えた福川正浩氏の駐ペルー日本国特命全権大使就任を機に、2011年4月再び公邸料理人として渡秘。以降ペルー大使公邸にて福川、株丹両大使の公邸料理人として腕を振るう。
  • 2017年外務大臣表彰「優秀公邸料理長」の称号を授与される。
  • 2018年1月株丹大使の帰任に伴い契約終了、本帰国。

▼公邸料理人になったきっかけは?

シェラトンでの勤務も9年目に入り、そろそろ転職しようかどうか迷っていたころ、公邸料理人経験のある先輩に話を聞いて興味を持ちました。ホテル勤務と並行して、(社)国際交流サービス協会(以下:協会)に登録したんです。最初は北米とヨーロッパ、東南アジアとオセアニア方面への赴任を希望していましたが、そのあたりは激戦区らしくまったく連絡がなくて。で、「もうエリアを外してください」とお願いしたら、その1週間後に連絡がありました。6月の面接で内定をもらい、9月にブラジルのリオデジャネイロに着任。婚約者という形では彼女(奈美さん)を連れていけないと言われたので、8月31日に急遽入籍してね。とにかくバタバタでした。

▼リオでの最初の仕事は?

まずは食材探しですね。前任者がどの店で何を買ったというリストを残してくれていたので、それを頼りに回りました。また協会にお願いすれば前任者の連絡先を教えてくれるので、メールで質問することもできます。ぼくはポルトガル語がまったくできなかったので、最初の1回だけ領事館のスタッフが付いてきてくれました。日本からの研修生には語学研修があるんですが、公邸料理人にはそういう制度はないんです。だから食材の名前と数字だけ教えてもらって、後はすべて現場で体当たりですね。それでもなんとかなるもんですよ。それに総領事館の人たちも現地スタッフも、みんな助けてくれました。

▼ペルーも同じでしたか?

ペルーでは前任者が情報をまったく残してくれなかったので、どこで何を買っていいか分かりませんでした。協会にお願いしても連絡が取れなくて困りましたね。ただリオと違ってペルーは日本語を話す日系人スタッフが多く、彼らが助けてくれました。「野菜はここで買っていたみたいですよ」とか、「お肉はたぶんあの店ですよ」とかね。住み込みで執事をしていた日系人のご夫婦には、特にお世話になりました。彼らはもう退職しましたが、今でも親しくさせていただき、ペルーの両親のようにお付き合いさせてもらっています。

ペルーは歴代の公邸料理人が和食出身者だったので、洋食用の什器が一切なかったんです。寸胴鍋もないし、フライパンもない。ずっと使っていなかったのか、オーブンもすぐ壊れました。和食はその日に仕入れた新鮮な素材を調理しますが、フランス料理の場合ソース1つでも仕込みに数日かかるなど、手順が全然違うんです。なのでそういう道具類は大使館にお願いして、新しく購入してもらいました。

▼大使の食事に関して気を付けたことは?

特にないですね。朝は和食か洋食かとか、味付けの好みとかは聞きましたが、幸いなことに特に細かいオーダーはありませんでしたね。

▼野口さんはフランス料理出身ですが、実際につくる料理は和洋どちらが多かったですか?

それは大使にもよるし、お客様の顔ぶれによっても変わります。日本からの出張者や駐在企業幹部が多ければ和食にこだわる必要はないけれど、日系人や任地国の政府高官になると、やはり日本料理でおもてなしするようになりますよね。リオではフランス料理が多かったけれど、ペルーでは圧倒的に日本料理でした。もちろん調理学校で和洋中・製菓と一通りやっていたので、料理書片手に試行錯誤しながらなんとか乗り切りました。

▼買い出しは自分で?

自分たちの買い物は、もちろんバスやタクシーを利用しました。でもペルーの場合、設宴用の買い物は、車を出してもらえるんです。設宴は毎週必ずあるし、仕込みにも時間が取られるから、日々の消耗品も車のある時にまとめて買うようにしていました。

▼買い出しで困ったことは?

リオもペルーも、店の人がお願いしたことをちゃんとしてくれないことが多いんですよね。「いついつこれを用意しておいてね」と言っておいても準備していないわけです。ぼくは割と気が長いほうなのですぐ慣れましたが、そういうのを見越して時間配分しないとダメですね。この国の習慣がこれなら仕方がないし、とにかく待つ、耐える、仕方がないとあきらめる。我慢と忍耐、これに尽きますね。

▼食材で困ったことは?

ペルーは土壌のせいかキノコ類が少ないし、あと茗荷(ミョウガ)やシソが育たないのが残念でした。でも公用物資調達というのが年数回あって、それでいろいろ買うことができたので助かりました。またペルーにはキヌアやアヒ、サチャトマテ、カイワなど独自の素材がたくさんあるので、それらをうまく日本料理に取り入れるようにもしましたよ。茶碗蒸しにキヌアやアヒを入れたり、もみじおろしにロコトを使ったりね。

▼仕事上のストレスは?

ストレスというほどではないけれど、ペルーでは和食の会食が中心で、洋食の機会があまりなかったことですかね。だから暇を見てフォンドボーを3日かけてとるとか、洋食希望があるとムチャクチャ気合を入れるとか。あと週末にはソフトボールもやっていました。大使館と駐在員の合同チームもあるんです。楽しいですよ。

▼休日は週末だけ?

休日は面接時に決めます。ぼくの場合は日曜と大使館の休館日が休みです。設宴が日曜にあたると代休がもらえるのでそれを貯めて、大使が出張などでペルーにいない時にまとめて休暇を取らせてもらいました。

▼ちなみにお給料は?

それも面接時に決めます。協会に登録する時に希望金額も伝えてあるので、それをもとにね。給料は国と大使がだいたい折半する形なので、やはり大使との相性ですよね。

※国の負担は料理人給与額の3分の2または17万円が上限とのこと(2017年3月衆議院資料)。

デザート

ブラジルとペルー、2か国で2人の大使に仕えた野口さん。現地で戸惑うこともあれど、周囲の人たちの協力を得てなんとか乗り切ってきたようだ。次は帯同者である妻・奈美さんにコメントを伺うほか、公邸料理人という仕事の問題点にも切り込んでいく。

(社)国際交流サービス協会(以下:協会) のサイトによると、独身・単身者が8割を占める公邸料理人。しかし、野口さんは妻・奈美さんを帯同しての赴任だ。今回はまず奈美さんにお話を伺い、野口さんには仕事のやりがいと具体的な問題点を語っていただいた。

▼奈美さんへの質問です。奈美さんはパティシエと伺っていますが?

結婚前にいたのはホテルやレストランのサービス部門で、料理は専門ではありませんでした。ただ主人の採用が決まった時、自分の経験を活かしたサポートができたらいいなと思ったんです。それに前々からお菓子作りに興味があったので、リオデジャネイロ時代に本やネットで勉強しました。そのうち私のお菓子をお出しする機会も少しずつ出てきて。もっと本格的な勉強をしたいと、リオから日本に戻った後地元のお菓子屋さんで勉強させてもらったんです。

▼自分のキャリアが途切れる不安は?また専業主婦としてのんびり暮らす道もあったのでは?

私自身もいつか海外で生活してみたかったし、さっきもお話したように、新しいステージで彼をサポートしたいという想いもあったので、キャリア云々はまったく考えなかったですね。おかげさまでリオの時はボランティアでしたが、ペルー着任時は調理補助として登録してもらうことができ、結果として自分もパティシエという道を歩みだすことができました。

夫が公邸料理人、妻がパティシエとして契約している人もいるそうですが、それだと何かと拘束されてしまうので、私の場合は設宴でデザートを担当したら1日いくらという形にしていただきました。頑張った分はちゃんと評価してもらえるし、自由な時間は語学学校に通ったり、駐在員の奥様方とランチを楽しんだりと、プライベートも満喫しましたよ。

▼ちなみに名物スイーツはできましたか?

リマでチャンカカ(黒糖)のアイスを作ったんです!ペルーにはこんなに美味しい黒糖があるのに、そのアイスクリームはないんですよね。日系人スタッフにも聞いたけれど、誰も食べたことがないって。試食してもらったらすごく好評だったので、これはぜひペルー大使館の定番にして欲しいなぁって思います。

▼夫婦喧嘩はしない?

大使に雇われているとはいえ、自分たちですべてを采配しなきゃいけないから自営業と同じ。日々の仕事に影響があってはいけないので、喧嘩なんかできません。というか私はいつも臨戦態勢なんですが、この人(修平さん)は本当に愚痴を言わないし、怒らない人なんですよね。私が「ぎゃー!」って感じでも、彼が受け流しちゃうので喧嘩にならなくて。私たちは籍だけ入れてすぐ海外に出たので、この10年間24時間ずっと一緒だったんですよね。この後日本に帰ったらどうなるかなぁ……。

▼夫・野口さんにお伺いします。夫婦での赴任はいかがでしたか?

公邸料理人には研修期間などないので、着任したその日から1人で現場を仕切っていかなければなりません。右も左もわからない異国の地で単身でやっていくには、相当タフな精神を持ち合わせていないと辛いでしょう。なので彼女のサポートは本当にありがたかったです。

実はリオデジャネイロから戻った後に次の面接を受けたんですが、夫婦での赴任を希望したところ不採用になりました。雇用側にしてみれば、1人より2人のほうが何かと出費がかさみますからね。でも、ぼくたちの最初の雇用主である福川氏ご夫妻は「家族で赴任するほうが料理人は精神的にも安定し、仕事の質も向上するのでは」というお考えで、だから彼女(奈美さん)を連れていけたんです。

現地でのストレスから、任期半ばで帰国してしまった単身の料理人さんも少なからずいるという話を耳にしたことがあるので、ぼくたちは本当にラッキーでした。これから公邸料理人と契約するという公館長の方々にも、ぜひそのあたりの事情をご理解いただけたらなって思います。

▼やはり向き不向きがある?

最終的には個別事情でしょうが、短気な人は向かないと思いますね。あとは何といっても忍耐力。すべて自分で判断しなければなりませんが、小さなこと1つとっても日本とは勝手が違います。ぼくは南米での勤務ですが、とにかくすべてがルーズなので、いちいち怒っていては身体が持ちません。とにかく理不尽なことにも耐えられるか、少しでも早くその環境に順応できるかどうかだと思います。

▼でもやりがいはありますよね?

やりがいはありますよ!なんといっても“自分の料理”を提供できるんですから。メニューから買い出し、仕込み、調理やサービスまで全工程を自分自身で考えることが一番の楽しみでした。そんなこと雇われでは絶対できないし、将来自分の店を持ちたいという人にはとてもいい経験になります。また普通ならまずお会いできないようなお客様にも、自分の料理を召し上がっていただくことができました。皆さまに評価いただいたことがとても大きな励みになったし、次の創作意欲にも繋がりました。

もう1つは現地の食文化に触れられることでしょうか。単なる旅行ではなかなか出会えない料理や食材を知り、味わうことができましたし。「いつかは自分の城を」という人には本当にオススメですよ。

▼昨年認定された「優秀公邸料理長」の称号(※)も、独立後のPRポイントになりますね。

ありがとうございます。あれは大使を始めとする大使館の方々の推薦と、設宴の回数なんかで決まるそうですが、実際にはそれをお膳立てしてくれる人がいないとなかなか難しいようです。私の時もその手筈を整えてくれた人のおかげで皆さんの推薦に繋がったわけですし、周囲に恵まれました。

※優秀かつ貢献度が高いと認められる公邸料理人に対し贈られる外務大臣表彰

▼日本に戻ったらまず何を?

しばらくは身体のメンテナンスに集中したいですね。人間ドックにも行きたいし、とにかく歯を治療したい。落ち着いたら地元の栃木か横浜(奈美さんの実家)で、自分の店を持ちたいですね。

▼苦労はあれど、仕事のやりがいは大きい公邸料理人。これまでのお話だと、なぜそこまで人材不足なのかと思ってしまうのですが?

まず公邸料理人という仕事についての情報が少ないですよね。この仕事に就くには協会に登録するしかないのですが、そもそもその存在自体が知られていない。

そして何より、社会保障がないのが大きいです。個人契約なので雇用保険がなく、帰任しても失業保険がありません。日本の健康保険はないから一時帰国中に歯医者もいけませんしね。だからぼく自身も7年ぶりのメンテナンスというわけです。

あと元の職場に戻れる可能性もほぼありません。ぼくはシェラトンの料理長にお願いして運良く戻ることができましたが、それでも契約社員でしたしね。一匹狼で自由にやってきた料理人を、簡単に受け入れてくれる組織はそう多くないですよ。

▼人材不足を補う手はないのでしょうか?

今はFacebookに「チーム公邸料理人」という非公開グループがあって、そこで情報交換できるようになりました。OB会はないので、昔の料理人たちとはなかなか連絡が取れないけれど、現役と、これからやってみたいという人たちでやり取りしています。個人契約なのでどうしても雇用する側が強くなってしまいがち。現地でのストレスだけでなく、中には大使と反りが合わず途中で帰ってしまった人もいます。でもそれじゃいい料理なんて絶対作れませんからね。

またこれまで協会は「斡旋したらそれで終わり」でしたが、ボリビアの元公邸料理人がかけ合って、帰国後の仕事探しをサポートする動きもでてきました。将来の不安を少しでも取り除かないと、希望者は増えません。

▼少しずつ改善はされているのですね?

いえ、それでもまだ不足しているようですね。登録者がいても、希望任地が先進国ばかりじゃしょうがないし。希望者のいない国には、タイ人の公邸料理人を連れていくようです。タイ人がだめというのではないけれど、なんかちょっと違いますよね。

公邸料理人帯同制度を実施しているのは日本と中国、あと本当に僅かな国だけです。でも食は外交の要だし、ぼくは素晴らしい制度だと思うんですよ。だからこそこれから公邸料理人になりたいという人たちを、どうにか応援したいんですよね。

通算して10年、長きに渡り日本の外交を料理の面から支え続けた野口さん。本帰国後は友人や元同僚を訪ねたり、気になる店を食べ歩きつつ、夢の実現へ向けて歩みだしている。

今回のインタビューは、野口さんの「公邸料理人という職種をもっと広く知ってもらいたい。これからこの仕事に就こうという人の疑問や不安を少しでも取り除きたい」という気持ちから実現したもの。興味のある人は(社)国際交流サービス協会や、Facebookの「チーム公邸料理人」にぜひ問い合わせて頂きたい。未来の食の外交官たちにとって、少しでも参考になれば幸いだ。

※この投稿は、海外在住メディア広場のコラム「地球はとっても丸い」に2018年2月23日および 同年3月17日付で掲載された記事を再構成したものです。文中の日時や登場人物等が現在とは異なる場合がありますのでご了承下さい。