音痴考

誰かの誕生会なのだろう、近所でFiesta(イベント)が行われている。女の子たちが流行りの歌をカラオケで熱唱中。その声と選曲から、箸が、いや、フォークが転がっても楽しいお年頃と推察。週末に仲良し友達の家に集まって、最新のカラオケ機材があって大好きなお菓子もあって、今夜は無礼講・・・だから、しょっぱなから弾けちゃうのは仕方がない。

でも、なんでそんなに音痴なのーーー???

恐ろしいほどに音を外す女の子たち。自分で歌ってて気持ち悪くないの?その子たちの親は止めないの?娘の脳みそ、壊れてんじゃんよ?誰か怒れよ、誰か泣けよ!と叫びたくなるほどの、尋常じゃない外しっぷり。

うーむ、どうしようもない。

以前、友達のお子さんが某カラオケ・コンクールに出場するというので応援に行ったことがある。そこで驚いたのは、他の参加者があまりにも下手だったことだ。

コンクールでこのレベルって、一体どういうこと?と思って聞いたら、優勝候補者たちは後半に登場予定、前半は有象無象、参加することに意義がある系だったらしい。友達のお子さんは素晴らしいことに後半出場組み。その子の出番まで、罰ゲームか何かのような気持ちで待ち続けた。

残念だ。ああ、あまりに残念だ。でもなぜこんなに下手なのか?下手なんだから、出ないでよ。そんなに外したら、元の歌がなんだか分かんないじゃない!

脂汗を流しながらヒーヒー耐えていた私だが、子供を現地校に通わす友達の一言が、ある意味私を救った。「ペルーの学校って、日本みたいな音楽の授業がないのよね」

そっか、この世に音程というものが存在することを知らないんだ。曲を音として聞いたり、自分の声がどうかを確認したことがないんだ。子供の頃から踊ってるからリズム感はいいんだろうけど、音程というものに意識がいかなければ、そりゃ外すだろう。

でも習ってないなら、仕方がないのかもしれない。おかげでその後は生暖かく見守ることができた。(お目当てのお子達が上手だったことも大きな救いだった)

どの国にも歌の上手い人はいるので、そういうプロは置いといて。日本人の歌唱力って、やっぱり全体的に高いと思う。子供の頃から、クラス対抗合唱コンクールとか、森のくまさんの輪唱とか、そういう授業の中で一定以上のレベルが培われてきたんだなぁと、しみじみ思う。

ペルーの学校って、各地の民族舞踊やら伝統的な踊りを学ばせる授業があるんだから、音楽の授業もちゃんとやったらいいのに?そしたら音だけでなく、人の話だってちゃんと「聞く」ようになるかもしれない。

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“音痴考” への6件の返信

  1. そう、そう。
    日本みたく、音楽の授業はないって私も聞いたことあります。
    だから当たり前に音階は読めないし、歌も歌えない。
    日本人がたいてい、楽譜を見て歌えるのはやはり音楽教育の賜物とか。
    でもだからだろうか、体でリズムを覚えろ!みたいな音楽が多い気がします。
    カホンを習っていたときにやっぱり、日本人は楽譜はないのか?っておもうけど、ペルー人は楽譜の存在意義を対して認識してないんだなあと思った。
    でもね、音痴はいやよね。
    うちも家でカラオケされると下手さに、頭が痛くなる。
    お察しします。

  2. ペルー人って人が下手なこともあまり気にしていないところがいいですよね。懐が深いというか鈍感というか(笑) 頭が痛くなるということがないのかな。うまい人もいるのにねぇ。声量はあるから、ちゃんと習えばみんな上手になると思うけど、「楽しけりゃいいじゃん」「歌うのはプロに任せて、踊れればいいじゃん」的な発想なのかと思ったりします。文化の違いですよね。

  3. ということは、日本では、人前で歌うなと
    きつく言い聞かされていた私でも、ペルー
    では、人前で歌ってもよいということで
    しょうか。
    でも、この考え方は、日本人的だなぁと思いました。
    常に、何事にも厳格さを求め、本来の目的を見失う
    日本人と、人生そのものを謳歌するラテン人という
    構図ではないでしょうか。
    まぁ、人生いろいろです。

  4. 匿名様(今回は匿名様が多いですね)>日本では歌うなと言われていたんですか?それはあんまりですね。お気の毒様です。おっしゃる通り、人の目を気にして横並びを良しとする日本と、人のことなど気にせず今を楽しむことを一番とするペルーの違いだと思います。人生を楽しむペルー人はきらいではありません(だからここに住み続けられる)。ただ人生を謳歌しすぎて、他人に迷惑をかけるのは別でしょう。あんなボリュームで一方的に聞かされるのは悲劇です。

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