あの笑顔を求めて

2月16日(木) 世界それホント?会議のシリーズ「私の好きな風景」(5)に「車窓から眺めた夕暮れのフリアカ(ペルー)」が掲載されました!

ただいまシリーズでお届けしている「私の好きな風景」。世界のライターさんが自分の好きな1枚をご紹介しています。

私は明るく華やかなペルーが好き。でも、車窓から眺めたフリアカの風景は今も忘れることができません。

★★★★★★★★★★

昨夜(ペルー時間2月15日)、El Comercio紙のウェブサイトを眺めていた時、このフォトギャラリーに目が止まりました。

FOTOS: Hace 20 años Sendero Luminoso asesinó a María Elena Moyano (20年前、センデロ・ルミノソはマリア・エレナ・モヤノを殺害した)

マリア・エレナ・モヤノは、リマ市南部の貧困地区ビジャエルサルバドルで活動していた市民運動家であり、「勇気の母」と呼ばれた女性です。1992年2月15日、テロリストのセンデロ・ルミノソに撃たれ、爆殺されました。たった34歳という若さで。自分の子供の目の前で。80~90年代前半のペルーは、まさに暴力と恐怖の時代でした。

実はこの記事を見る数日前に、「ビジャエルサルバドルにある『Arena y Esteras』という劇団を見に行きませんか?ちょうど日本のピース・ボートの人たちとの交流会があるのです」と、声をかけてもらっていました。

年末に知り合ったメキシコ在住の日本人女の子からピースボートの話を聞いていたこともあり、ちょっと興味があったので快諾させて頂いたところ。そのウェブサイトの中で、私はマリアの存在を知ったのです。

命をかけて貧困やテロと戦い、女性や子供の人権を守ろうとした女性。この劇団は彼女の意志を引き継ぎ、芝居を通して子供たちの自立心を養っていく活動をしています。

ただ、その時は主に劇団の活動について見ていたため、マリアについてはそう調べるに至っていませんでした。そんな時に先のフォトギャラリーを見つけたのです。改めて彼女の生立ちや活動内容を知って、色々な気持ちが私の中でぐるぐるしている最中、という訳です。

70年代、軍事政権時に行われたペルーの大農地改革と、それに伴う農民の都市への流入によって、「1960年には、人口160万の、南米のもっとも美しい町のひとつといわれたリマ市は、1970年代になると、巨大なスラムにかこまれた人口700万のメガロポリスになって」しまいました。 (増田義郎/柳田利夫著・ペルー 太平洋とアンデスの国より抜粋)

そうした中で誕生した区の1つが、「救世主の町」という意味のビジャエルサルバドルです。都市を目指した貧農たちにとっては荒れ地以外の何物でもなかった砂山でさえ救世の地だったのでしょう。何度か行ったことはありますが、リマ市新市街とはもうそれこそ別の国かと思うほど風景も人も生活インフラも何もかも違う町です。

「ペルーは経済格差が激しくて・・・」とご紹介すると、「いや、最近は日本も経済格差が広がってるよ」というお返事を頂くことがあるのですが、その社会構造はまったく違うし・・・比較しようがないのです。

私は明るくて華やかなペルーが好きです。でもフリアカの風景同様、ペルーの歴史に見え隠れする影の部分にも強く惹かれています。そこに暮らす人々の、力強い笑顔がとても好きです。

Arena y Esterasの子供たちに会いに行くのが今から楽しみです。

“あの笑顔を求めて” への4件の返信

  1. 日本は、都市部周辺で砂山に住むという選択ができない先進国です。
    ペルーの付加価値税は18%ですが、サラリーマンの月間所得が
    日本円換算で4万5千円程度なら、給与の所得税控除はなかったと
    記憶しています。
    物価で比較すると、日本では13万円以上相当の月給になります。
    つまり日本でこのくらいの収入層までだと、ペルーでは所得税を
    払わなくてもいいわけですね。
    さらに、場所によっては水光熱費さえ節約すれば住居関連費用がほとんど
    かからず、かつ通常の食料品および交通費が安いので、贅沢さえ
    しなければリマという大都会でも生きていけるんでしょうね。

  2. 詳しい情報をありがとうございます。「階層」というものを良しとは思いませんが、それぞれの人が生きていける「社会」があることは、この国の強みだなといつも思います。もちろん教育や医療にはお金がかかるから、「生きていけるだけ」ではダメなんですけどね。ある程度以上の所得があるにもかかわらず、税金を払わない工夫だけを一生懸命する人たちには辟易します。いろんな問題をかかえている国ですよね。でも彼らの逞しさはいつも見習いたいと思います。

  3. 世界の富裕層が訪れるペルー、日本でもフジモリ氏とともによく知られているけれど、こういう現実もあるのですよね。
    こちらに来るとペルーのいろいろなことを知ることができて勉強になります。
    本で見るのではない生の声ですもの。
    たくましく生きるというのも見習いたいものです。
    都会の中の孤独死も何とかなったんじゃないかと・・・。

  4. 都会の中の孤独死、身につまされますね。日本ほどの国がなぜ、といつもニュースをみて悲しくなります。人との縁が薄くなっているからなのか、それとも。でも常々思うのが、「生きることへの執着、たくましさの欠如」なんです。もっとがめつくなってもいいのではと。こちらは問題山積の国ですが、それでもその逞しさには学ぶものが多いと思います。

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