ペルー政府 8月6日を国民の祝日に制定

ペルー独立戦争終盤における著名な戦闘のひとつ、「フニンの戦い(la Baralla de Junín)」が行われた8月6日を記念し、新たな国民の祝日と定める法令第31530号が26日、大統領の署名を経て官報上で公布された。カスティージョ政権発足以来、新祝日の追加はアヤクチョの戦いの日に次いで2度目となる。

フニンの戦いの記念日、8月6日を国民の祝日と宣言する法令第31530号

第1条 当令の目的

当法令は、フニンの戦いを記念し、8月6日をすべての事業体ならびに公共機関における国民の祝日として宣言するものである。

第2条 立法政令第713号第6条の改定による、民間労働体系に基く労働者報酬の決定に関する制度の補完

立法政令第713号第6条を次のように改定する。

“第6条 – 祝日は次のとおりとする。

  • 元日(1月1日)
  • 聖木曜日と聖金曜日(移動祝日)
  • 労働者の日(5月1日)
  • 聖ペドロと聖パブロの日(6月29日)
  • 独立記念祭(7月28日・29日)
  • フニンの戦いの日(8月6日)
  • リマの聖ローサの日(8月30日)
  • アンガモス海戦の日(10月8日)
  • 諸聖人の日(11月1日)
  • 無原罪のお宿りの日(12月8日)
  • アヤクチョの戦いの日(12月9日)
  • クリスマス(12月25日)”

第3条 記念活動

教育省、文化省、防衛省はフニンの戦いおよびその歴史的意義に関する公式記念活動を計画し、官民の教育機関ならびにすべての公共機関に実施させる。

(ソース: El Peruano 26/07/22)

フニンの戦いとは

1824年8月6日、ペルー独立の過程において、王党派と愛国派(独立派)の両軍が対峙した独立戦争終盤戦のひとつ。シモン・ボリーバル率いる愛国派軍と、カンテラック将軍率いる王党派軍が、ペルー中央部に位置するフニン州の平原で対峙。王党派騎兵の突撃で戦端が開かれ一旦同軍が優勢となるも、愛国派軍はその機転による不意打ちで包囲を免れる。戦意を喪失した王党派軍は退却するも平原に散逸し、激戦の末に敗れた。標高4100mの交戦は約45分間におよび、死傷者254人と80人の捕虜を出した王党派軍は多くの人員と物資を失い退却を余儀なくされた。愛国派側にも148人の死傷者が出たが、フニンの戦いでの勝利は愛国派連合軍の士気高揚につながったとされる。

(Wikipedia西語版から引用)