マチュピチュのサンタは日本人!『MACHUPICCHU SANTA PROJECT』大成功

『MACHUPICCHU SANTA PROJECT』でペルーを訪れているマチュピチュ観光大使の片山ジェシーさんと、ついに対面!多忙なスケジュールの中で貴重なお時間を頂き、今回のプロジェクトについて、そして今後の夢について語って頂きました。

2021年12月10日深夜にペルーの首都リマに到着したジェシーさん。でもペルー入国前から予想外のトラブルが続いたとか?

そうですね。まず「12月10日にペルーでコロナ関連の新しい規制が始まる(※)」と聞いて、日本の出国予定を早めました。その時点ではどういう規制か分からなかったのですが、万が一ペルーに入国できなかったら、これまで応援してくれた皆さんの好意がすべて台無しになってしまうので。あと予定が直前でコロコロ変わったせいで、現地で通訳をお願いしていた人に断られてしまったのも相当痛かったです。
18歳以上の市民(旅行者含む)に対し、屋内施設入場時のワクチン2回接種完了証明書の提示を義務化

それは大変でしたね!ペルー入国後、マチュピチュ村まではスムーズに移動できたんですか?

それがクスコで大規模なデモがあって(※)、予定していた日にマチュピチュ村に行けなかったんです。また現地に注文していたTシャツがまだできてなかったりで、本当に焦りました。
※クスコ周辺の農民たちによる48時間ストライキ。輸入肥料価格の高騰で政府へ抗議、クスコとマチュピチュ村を繋ぐ線路を封鎖した。

『MACHUPICCHU SANTA PROJECT』について紹介する地元メディア

マチュピチュ村ではどのように過ごしていたんですか?

マチュピチュ村村長のダルウィンさんにご挨拶したり、去年お世話になった村人たちを訪ねたり。あとマチュピチュ村と友好都市協定を結んでいる福島県大玉村の玉井小学校の生徒たちから預かったプレゼントを村の子どもたちに渡したりと、とにかく慌ただしかったですね。

マチュピチュ村の子どもたちに日本の文化を伝えるジェシーさん。子供たちは折り紙に興味津々!/Photo@daisuke.chika0321

実は当初、イベントの開催日は12月21日を予定していたんですが、現地に行ってからその日は無理だと言われたんです。そこで交渉に交渉を重ね、なんとか23日に開催する運びとなりました。ここに来て日にちが変更したのは痛かったけれど、村長さんがプロジェクトを全面的にバックアップすると言ってくれたので、すごく心強かったです。

マチュピチュ村役場でダルウィン村長と会談/Photo@daisuke.chika0321

随分精力的に活動されたんですね。通訳もなんとか見つかったようで何よりです。

はい!クスコ在住で日本語教師をしているペルー人が、通訳としてずっと助けてくれました。俺が伝えたい内容をきちんと汲み取りつつ、ペルー的交渉術を駆使して話をまとめるという超優秀な人でした。

また今回は『MACHUPICCHU SANTA PROJECT』公式ビデオを制作するんですが、それに関しては世界一周旅行をしながら各国の風景を撮影・配信している日本人ご夫婦が快く引き受けてくれました。今回のプロジェクトのために、旅先の中米からわざわざクスコに戻ってきてくれたんですよ。彼らなしにこの企画は成功しませんでした。本当に感謝しています。

たくさんの人の協力や支援あってこその『MACHUPICCHU SANTA PROJECT』ですね。12月23日の本番はいかがでしたか?

それがですね・・・大雨で中止になってしまったんです。広場にはすでに大勢の子供たちや保護者が集まってくれていたので、なんとか止んでほしかったんですが残念でした。

でも、12月24日に無事開催できました!イベントは大成功だったし、共同通信社の方が取材してくださったので日本のマスコミにも取り上げてもらうことができたし、本当にほっとしています。

マチュピチュ村の広場で子供たちにプレゼントを手渡すJesse Santa/Photo@daisuke.chika0321
子どもたちはみんな『MACHUPICCHU SANTA PROJECT』のTシャツをとても気に入ってくれました/Photo@daisuke.chika0321

『MACHUPICCHU SANTA PROJECT』大成功、おめでとうございます!それにしてもここまで相当大変でしたね。

6月にこのプロジェクトを思いついて、動き始めたのが8月。クリスマスまで時間的余裕もないし、前例もない中で、すべてが手探りでした。

僕は大学を卒業してから語学留学でセブ島に3か月、オーストラリアにワーキングホリデーで滞在したあと、世界一周旅行でペルーを訪問。マチュピチュ村に滞在中コロナが広がって、ペルーがロックダウンしたことで村に閉じ込められたわけです。だから日本での就職経験もなかったし、そもそも“交渉”という事をしたことがなかったんですよね。

だから「分かりました」って言われたのに話が全然進んでいなかったり、こっちにお願いしたらなぜかあっちが不機嫌だったりと、色んなことに悩まされました。それに在日ペルー大使館や大玉村、アメリカン航空をはじめとするたくさんの企業や団体から支援を頂けば頂くほど責任が重くなるし、逃げ場がなくなっていくじゃないですか。最初が失敗だったらもう次はないし、今更後戻りはできないし。

コロナで想定外の出費がかさんで、僕個人もかなり持ち出ししている状況です。それでもお金のことで夢を諦めたくなかった。村に恩返しがしたい、村の子どもたちを笑顔にしたい。日本とペルーの関係をもっと強く、深いものにしたい。僕ならできる、やってやるぞ!っていう気持ちだけでここまで来たんです。

でも『MACHUPICCHU SANTA PROJECT』が成功したのは、本当に皆さんのおかげです。バックアップしてくださった企業や団体の方々を始め、オリジナルパーカーやTシャツを買ってくれた皆さん、ペルーでお世話になった人たちなど直接お礼を伝えきれない人たちが大勢いて、いくら感謝してもしきれないくらいです。

『MACHUPICCHU SANTA PROJECT』 の今後の予定は?

今後もこのプロジェクトを続けていくために、やらなければならないことは山積みです。個人の活動には限界があるので、まずはNPOを立ち上げたいですね。ダルウィン村長は日本と交換留学ができないか、救急車もほしいという要望がありました。どれも今の僕には話が大きくてすぐには対応はできませんが、ひとつずつ取り組んでいきたいと思っています。

マリナさんと一緒に、与吉さん・マリアさん夫妻のお墓参りにも行きました

今回クスコでは、マチュピチュ村の初代村長だった野内与吉さんの娘マリナさん宅にお世話になりました。マリナさんに与吉さんの手紙や資料などたくさん見せてもらったんですが、その日付が1944年とかなんですよね。僕が生まれる50年も前で、与吉さんがペルーへ渡ったのは100年以上も前。そこから今回のプロジェクトまで繋がっていると考えたら、もう心がざわつくというか身震いするというか、上手く伝えらえないけど本当に不思議な感覚で。

だからこそこのご縁を大切にしたい。今年のクリスマスもまたここに戻ってこれるよう、全力で取り組みたい。そしていつか、マチュピチュ村に名を遺す第二の日本人になれたらって思っています。村に“ジェシー通り”を作ったりね(笑)とにかくこれからも自分を信じて頑張っていきます。皆様、これからも応援よろしくお願いします!

ジェシーさん、ありがとうございました!皆様も引き続き、どうぞ応援してあげてくださいね。

『MACHU PICCHU SANTA PROJECT』公式サイト