海外プロバレーボーラー 花澤佳奈 インタビュー

世界で活躍する日本人スポーツプレーヤーが注目を浴びる昨今。しかしことバレーボールに関しては、よほどのファンでない限りそうしたニュースを耳にすることはほとんどありません。それは日本には実業団を主体とするセミプロバレーボールリーグしかないから。海外で活躍するプロバレーボーラーが増えれば、国内でのバレーボール人気ももっとあがるだろうに?こうした点一つをとっても、日本の特異性を感じずにはいられません。

そんな中にあって、ペルーで活躍する若き日本人プロバレーボーラー花澤佳奈(はなざわかんな)さんにお会いする機会を得ました。ペルーの女子バレーボールといえば、故・加藤明監督によって世界選手権で2位を獲得したこともあり、「日本人が強くしたペルーでプレーできることに縁を感じる」とのこと。ペルー女子バレーボール界に再び日本人ブーム到来なるか?佳奈さんの今とこれからについてお話を伺いました。

花澤佳奈(はなざわ・かんな)プロフィール

1999年11月15日生まれ(23歳)千葉県千葉市出身、青山学院大学経済学部卒。
9歳からバレーボールを開始、小学生時代は強豪みつわ台クラブに所属(ポジション:センタープレーヤー)。中学・高校時代もバレー部に所属、高校からセッターに転向。青山学院大学入学後は激しいセッター争いを勝ち抜き、東日本インカレ優勝でセッター賞を受賞(2年生)。2022年3月卒業後は海外プロバレーボーラーを目指して活動、8月にペルーチームとプロ契約、10月に渡秘。

海外に興味を持ったきっかけは?

高校時代にスポーツ研修として訪れたオーストラリアで “海外の広さ” に驚き、すごくおもしろいと思ったんです。国土の広さや街の雰囲気だけでなく、服装や髪・目の色の違い、食事、文化などいろんなものがおもしろくて。その一方で、“日本の狭さ” にも気づいたんですよね。

研修中に地元の家庭にホームスティする機会があったんですが、その家にたまたま日本人留学生が住んでいたんです。その子が『高校を卒業したらイギリスに行く』って言うのを聞いて、「見ているものが全然違う、世界線が違う!」って思ったんです。子供のころからバレーボール一筋だった私にとっては驚きだったし、逆に自分からバレーボールを取ったら何も残らないって焦りました。それでいつか海外に出たいって思うようになりました。

それで海外プロバレーボーラーを目指すことにしたんですね

いえ、最初からそう思っていたわけではないんです。大学の就活では、バレーボールとは関係ない会社の面接を受けました。バレーボールは好きだけど一生続けるのは無理だし、バレーボールを止めた後の人生のほうが長いから、だったら海外に行くチャンスのある会社に就職しようと思って。でもずっと日本で働き続ける自分っていうのがどうしてもイメージできなかったんですよね・・・。

そんな中、ある企業の最終面接で、社長さんに「そんなにバレーボールが好きなのに、本当に止めちゃうの?」って聞かれました。それで初めて “海外” と “バレーボール” が繋がったんです。その時は内定欲しさに「はい」と答えてしまったけれど、でもやっぱり止められない、海外プロバレーボーラーになるしかないと思いました。

日本の実業団やクラブチームに所属しようとは思わなかったんですか?

日本の場合、同じチームで同じメンバーと何年も一緒にプレイするのが普通なんです。メンバーも環境も変わらずずっと同じ。それってこれまで学校という枠の中ですでに経験してきたことだったし、私には面白いとは思えなかったんですよね。でも海外は違う。1年契約で他のクラブに移るのも自由。実力があればもっと強いチームからオファーが来たり、契約金がアップしたり。変な上下関係もないし、規則もない。日本には日本の良さがあるけれど、私には海外のスタイルがあっていると思いました。

どうやって海外プロバレーボーラーになったのですか?

海外プロバレーボーラーになるためのノウハウや情報がなかなかなくて、最初は苦労しました。でも幸いなことに、いくつかのエージェントを紹介してもらうことができたんです。例えばアメリカのあるエージェントの場合、自分のプレーを収めた動画と英語の履歴書をウェブに登録しておきます。それを閲覧した各国のチームが興味を持った個人を指定し、エージェントを通じて書面のやり取りが始まります。あちらが提示した契約内容に納得できたら契約。私のプレーを見てオファーしてくれたのが、今所属しているペルーチーム「Latino Amisa(ラティーノ・アミサ)」の監督です。

ただどの国も9~10月から本シーズンなので、8月までにオファーがなければ諦めようと思っていたんですよ。友達から「まだ海外に行かないの?」とか言われると、ちょっと辛かったですしね(苦笑)ラティーノ・アミサからオファーが来たのは7月で、そういう意味でギリギリだったので嬉しかったです。契約金は交渉できたので少し上げてもらいました。

ペルーのチームについてはどうですか?

ペルーリーグには12のチームがあって、ラティーノ・アミサは4位(2022年)。予算の問題もあるのですが、とにかくメンバー数が少ないのが問題でしょうか・・・。ポジション争いがないとどうしても努力しなくなるし、誰かが体調を崩したら終わりだから。

実は今、あるメンバーのメンタルがボロボロで、なかなか立ち直ってくれないんです。「もう私はダメなの、無理なの」って言われても困りますよね?「プロなんだから仕事とプライベートは切り分けてよ!」って思うけどなんか違って・・・。“勝ちたい” っていう気持ちが弱いというか、やる気がないのが表にでてしまうんです。それで練習試合に負けたりしたらもうがっかり。私はもっと上に行きたいのに・・・あ、もちろん全員じゃないですよ。

それはちょっと残念ですね・・・ちなみにこちらでの生活はいかがですか?

ペルーの生活には満足していますね!食事も美味しいし、ワインも美味しいです。宿泊先はチームが用意してくれているし、練習場への移動もチーム負担なので何も問題はありません。休みの日には監督やチームメイトがあちこち連れて行ってくれるし、おしゃれなカフェもたくさんあるし、とても楽しいです。

ペルーチームから学んだことはありますか?

“自分を出すこと”の大切さ、ですね。私は日本では自分の気持ちというか、心の声を出すのが苦手でした。さっと空気を読んで我慢したり、黙ってスルーしてしまったり。

日本って他人の目を気にするじゃないですか。いつも誰かに見られているような気がするし、他人の評価で自分を決めるみたいな。でもこっちは常に「自分が正しい」だから、みんな自分の意見を言うし、人の意見は聞かないし(笑)

さっき話したメンバーが、私のトスを打ってくれないんです。そんな時、つい「私のトスが悪かったのかな」なんていろいろ考えてしまうんですが、監督から「それではダメだ」と注意されました。「『なぜ私のトスを取らないんだ、何が何でも打て!』って言わないと、悪いのは君だってことになるよ。セッターは司令塔なんだから、ポジション的にも言うことははっきり言わないと」って。本当にそうなんですよね。日本の癖で「取りにくかったかな、もっとこうしなきゃダメだったかな」って思ったりしたけど、それじゃいけないんだ、ちゃんと自己主張をしなきゃって。でも最近ちょっとだけ言えるようになってきたかな・・・。そこが一番変わったところですね。

ペルーチームとの契約は5月末までですが、その後はどうするつもりですか?

ヨーロッパリーグに参加するのが夢なんです。なので条件が折り合えば今のチームで再契約してもいいけれど、できればヨーロッパの他のチームと契約したいですね。そのためにもいい成績を残したいです。

ペルーリーグはもともと11月26日開催予定だったんですが、リーグトップの交代で12月17日まで延期され、また今回の政変で1月17日に延びてしまったんですよね。リーグは4月までと決まっているから、むちゃくちゃハードなスケジュールになります。そこは心配ですが、私は試合するためにここに来たので、全力で頑張ります。

【インタビューを終えて】

一般に海外志向が薄いとされるZ世代にあって、「海外で活躍したい、知らない世界を見たい、知りたい、楽しい!」と笑顔で話すとてもキュートな佳奈さん。バレーボールで鍛えられたメンタルの強さもあるでしょうが、ペルーという異文化への理解も早く、バランス感覚の優れた女性だと感じました。彼女のような若者がどんどん世界へ出てくれたら、日本ももっと変わっていくでしょう。これからの活躍に大いに期待したいところです。

佳奈さんはバレーボール人生を卒業したら起業して、海外に挑戦する人を応援したいそう。日本と世界を繋ぐ架け橋として、海外で活躍したい人をサポートしたいとのこと。素敵ですね。バレーボールファンもそうでない方も、日本のバレーボール界に一石を投じるであろう佳奈さんのこれからの活躍にぜひご注目ください。

OHANA Diary 【Kanna Hanazawa】
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