プエルトマルドナード 日本人移民の墓とペルー一長い橋

SONY DSC

レストランから、プエブロ・ビエホ(旧プエルトマルドナード)とマードレ・デ・ディオス川を望む。昔はあの低い位置に町があったが、度重なる洪水から、町全体を現在の高台に移したのだ。しかし、プエブロ・ビエホには今でも人が住んでいる。危険と分かっていても昔ながらの土地を離れたくないのか、ただのインバシオン(不法占拠)なのかは不明。同じ悲劇が繰り返されなければいいのだが。
プエルトマルドナードホテルに紹介されたレストランは、ごく普通のセビチェリアだった。アマゾンらしい料理は、「タカチョ・コン・セシナ(豚肉の燻製と食用バナナを揚げて潰したもの)」しかないと言う。セビチェリアだから川魚の丸焼きくらいあるだろうと思ったけど、それもないと言われた。えーん、つまんない!

ところが、仕方なく頼んだはずのチチャロン・デ・ペスカードがすこぶる美味しく大満足。ふわふわ、サクサクでリマの有名レストランに勝るとも劣らない一品だった。冷えたビールがグイグイすすむ。もうこのまま観光せずに部屋で寝ようかという気分。

「地元料理~」と煩かった私に、店のおばあちゃんがパタラシュカ(バナナの葉で川魚をくるんで蒸し焼きにした料理)が美味しいという別の店を教えてくれた。手伝いの孫娘も控えめで、チップをあげた時のはにかんだ笑顔が初々しいかった。気持ちのよいランチタイム。幸先よし。げぷっ。

食事を終えたころ、後ろのテーブルにいたおじさんが「日本人か?」と声をかけてきた。そうだと答ると、あるアイスクリーム屋さんの名前を教えてくれた。それが、「Heladería ¨COPASU¨」だ。

「コパス」のオーナーは、Elvis Fernandez Fukumoto氏。実はこの旅でFukumotoさんという人物に会えたらいいなぁと思っていたのだが、彼がまさにその本人だったのだ!こんな偶然ってあるのだろうか。

1900年代初頭、ペルーのアマゾン地域はどこもゴム景気に湧いていた。このマードレ・デ・ディオスにも、一攫千金を狙った日本人が大勢暮らしていたという。

その中の重要人物として名前が挙がったのが、「Don Pancho Fukumoto」。もちろん本人はもう亡くなっているが、エルビスさんはその孫にあたると思われる。場所もアルマス広場からそう遠くないし、あとで尋ねてみることにした。

午後からプエルトマルドナードの町を散策。人が少なく、オート三輪よりモト(バイク)が優勢。町では、ぼってりとした体つきの女性を多く見かけた。

後日ガイドに聞いたところ、町の人口の2割が地元の人、8割はクスコやプーノ、アレキパ、リマなど他の都市から移住してきた人たちなのだそう。どうりでアンデス特有のミチュアミおばちゃんをよく見かけるはずだ。そのあと訪れたメルカドも、セルバのというよりアンデスのメルカドみたいだった。

この立派な橋は「Puente Billinghurst」、またの名を「Puente Continental」。全長722m。アラン・ガルシア政権時代の2011年3月に完成したペルー一長い橋だ。

地元のタクシー運転手は「ラテンアメリカ一長い橋だよ」と豪語していたが、残念ながらそれは間違い。はは。ちなみにこの先はブラジルに続いているが、ペルー人はパスポートもビザも不要、DNI(身分証明書)だけで行き来できるのだそうだ。羨ましい!

次は「Cementerio Los Pioneros」、開拓者たちの墓を訪ねてみた。ここに日本人移民が眠っているらしい。途中何度か道を尋ねながら歩いたが、プエルトマルドナードの人は皆親切で、最後の人はすぐそばまで一緒に歩いて案内してくれた。地元でも有名な墓地らしい。

ところが、行ってみるとそこはひどく荒れ果てていた。あの世のことを「草葉の陰」というが、まさに草に埋もれ、朽ち果てるに任せた寂しい墓地だった。折れた十字架、欠けた墓石。野良犬がところ構わずフンをし、盛り土の上を好き勝手に歩く。この光景に少なからずショックを受けてしまった私。ここは誰も墓参りに来ないのだろうか…。

墓地の一角に「聖母県 日本人移住者 位牌堂」と書かれた建物があった。その周囲に、日本人の名字が刻まれた墓がいくつか残っている。「Yoshikawa」「Watanabe」「Isuyama」など、ざっと20~30基はあるだろうか。海外移住した日本人は祖先を大切にするというイメージが強かったが、どうやらここは少し違うようだ。

夕暮れの墓地は寂しく、手を合わそうにもどう祈ればいいのかわからない。Fukumotoさんに会えば何か分かるだろうか。

プエルトマルドナード初日。アマゾンの町で、アンデスのおばちゃんを眺めながら日本人の墓参りをするという不思議な1日が終わった。明日から待望のロッジ滞在!たくさんの野生動物に会えますように。

あわせてお読みください

2 Replies to “プエルトマルドナード 日本人移民の墓とペルー一長い橋”

  1. 横浜市の71歳です。’09年6月にプエルトマルドナードを訪問し、日本人墓地を訪問し事が有り懐かしく読みました。川を数時間遡り、タンボパタ研究センターで12日間、「コンゴウインコ」研究者のサポートのボランティアをしました。
    丁度この1月27日から娘がペルーに1か月の予定で出かけましたので、「リマ」で検索していて、このHPに出会いました。
    娘はスペイン語が話せ、地域のスペイン系の人の通訳などボランティアをして、ペルーで友人がいるようです。
    私の妻も「KEIKO」で’09年にペルーの各地で「KEIKO」の
    文字がありました。大統領候補とのことでした。
    アマゾンで沢山の蝶を観察出来て幸せでした。
    楽しいHPを有難うございました。

    1. 三木さま
      こんにちは。タンボパタにいらっしゃったんですね。拙ブログが、三木さんの懐かしい思い出を呼び起こすきっかけになったなら幸いです。
      プエルトマルドナードはとても穏やかな町で、人も優しく、私もとても好きでした。
      以前のものですが、この時にお会いしたフクモトさんのお話をもとに「ペルー下り」という原稿を書かせていただきました。よろしければご覧ください。
      http://chikyumaru.net/?p=4697
      お嬢様のペルー滞在が楽しいものになりますよう、同名の奥様にもよろしくお伝えください。
      こちらこそ温かいコメントをありがとうございました。

コメントは受け付けていません。