Soy pobre, pero estoy feliz!

また空いてしまった・・・ チャチャポヤス 5日目

前日飲み過ぎたが、上等ベッドのおかげで気持ちよく眠れたからだろう、酔いも残らずすっきりと起きることができた。このベッドで眠るためだけにまた来てもいいと思うほど心地よい。素晴らしい!

ゴクタロッジチェックアウトまでのひとときをのんびり過ごす。写真を撮ったり本を読んだり、とにかくまったりと。滝を見て、花を見て、小鳥を見て、また滝を見て。ここ数日のアホな出来事も、こういう時間があると全部帳消しにできてしまうもんだよね。

チェックアウトをして荷物を預け、運転手さんを少し待たせて村を散策した。お土産屋さん・・・買いたいものがなくて困った。アンデスイワドリのキーホルダーを無理やり購入。今度来た時は、もう少し進化していることを願う。

ゴクタの滝をバックに。レイメバンバ博物館で買ったファルド(ミイラ包み)とクエラップで買ったカラヒアの石棺。お気に入り。

★★★★★★★★★★

この日私たちをロッジに迎えに来てくれたのは、フリオ・ディアスさん、38歳。明るく気さくな彼は、旅行者と触れ合える運転手という仕事が大好きだと言っていた。

Chachapoyas私たち4人を乗せたワゴンは、1時半ごろコカチンバ村を出発した。山を切り開いて造られた立派な幹線道路を一路チャチャポヤス方面へ。車窓からは風光明媚な景色が見える。岩山を無理やりくり抜いて道を通したのだろう、「通行車両の高さ制限○○m」という表示がいくつも見えた。

フリオは今日、チャチャポヤスから私たちを迎えに来たという。「じゃあ、あなたはチャチャに住んでるのね」と言ったら、「いえ、チャチャにも小さな家を借りてますが、私の村はすぐそこですよ」と。

しかし「村」と言われたその場所には、粗末なアドベの家が数件建っているだけだった。幹線道路の両側のわずかな土地を埋めるように建つ家々。思わず「いや、これは”村”じゃなくて、”不法占拠”って言うんでしょ?」と言いそうになったほどだ。

そこに、一軒の「ペルー的ドライブイン」があった。竹で囲った”オープンテラス”に、プラスチックの机と椅子を並べ、粗末なエステラ(むしろ)でひさしを付けただけの小さな食堂。その食堂の前に停車したフリオは、「ここが私の家です」と教えてくれた。中から奥さんと子供が出てきて、はにかみながらこちらに小さく手を振ってくれた。

もう随分昔のこと。この幹線道路を通すための大がかりな公共事業に、フリオのおじいさんが土木作業員として参加したのだそうだ。そして当時は、チャチャポヤスからちょうどこの”村”のある辺りが終点だったという。

「ここは空気もきれいだし、犯罪もない。水は山の湧水を引いてくればいいし、近くに水力発電所があるから、電気もなんとかなるだろう。よし、ここに住もう。ワシら家族の住む村をここに造ろう。」

そう決断したおじいさんは、家族を連れてこの「道路沿いの村」を創ったのだそうだ。

フリオや彼の兄弟姉妹はここで生まれ育ち、それぞれが伴侶を迎えた後も、皆ここに暮らしているそうだ。みんなで力を合わせて山から水を引き、川辺のわずかな土地で畑仕事をし、みんなで子供を育ててきた。さすがに学校はないから、子供たちはチャチャポヤスにいるという。でも週末にはこの村に戻ってきて、家族と一緒に暮らすと言っていた。

soy pobre, pero estoy feliz.「私はpobre(ポブレ/貧乏)です。でもここの暮らしにはとても満足している。家族もみんな元気だし、こうして仕事もあるし。私はとっても幸せなんですよ。」

その笑顔には一点の曇りもなかった。彼は本当にこの村の暮らしに満足しているようだった。仕事で出会う旅行者から外の世界の話を聞き、便利で豊かな生活があることを知りながら、それでも「自分には何もないけど、でも幸せだ」と言いきってしまえる。いやー、それって結構カッコいいことだよ!

ちなみにおじいさんは現在98歳、現役バリバリで畑仕事をしているという。ストレスとは無縁の世界で、毎日畑仕事をしてるから元気なのかな。ちょっとくらいの病気だったら、その辺の薬草とかで治療しちゃうそうだもんな。

ペルー人のこういう行動力にはいつも驚かされる。まったくもって逞しい、逞し過ぎていつも唖然とする。この逞しさが「Invasion/インバシオン・不法占拠」の原動力になっていて、都会じゃこれが結構大問題だったりするんだけど、まー、こんな場所、土地の登記やら固定資産税なんて別世界の話だもんね。

日本で聞いたら「ありえねー!」と思うような話も、ここで聞くとなんだかすっと腑に落ちてしまう。まさにペルーマジック。たまらん、こういうの、大好きだ。