リマに息づくアンデスの世界

1月29日(日)、FM802 Superfine Sunday にラジオ出演しました!

1月30日(月) 阪急交通社・海外現地生情報に「世界で最も過酷なレース「ダカール・ラリー」、南米三ヶ国で開催!」が掲載されました!

FM802ではペルー料理についてお伝えしました。日本の友人から「今、生で聞いてるよ~!」というメールを貰い、嬉しいやら恥ずかしいやら。毎回申し上げますが、ぶりっこしてるんじゃないんですっ!ラジオだと声があんなふうになるんですっ!(どんな声かって?えー、とりあえず私の年齢に合わない声を想像してみて下さい/苦笑)

ラジオ出演する度に、「ボイストレーニングしたいなぁ」と思う私。山添まりさんの声と発声、本当に美しいです。。。阪急交通社さんは、先日観に行ったダカールラリーの様子を。今回は事後報告になりましたが、次回の開催内容が決まったら皆さまに事前にご紹介できるよう頑張ります♪

★★★★★★★★★★

閑静な住宅街が広がるリマのサンボルハ区。特にチャカリア付近は大きなお屋敷も多く、緑も豊かでお散歩にはもってこい。なのに、Av. San LuisとAv. Primaveraの交差点付近だけはぐぐっと庶民的な雰囲気なのだ。

鍛冶屋と個人商店が並び、その先に植木屋ばかりが200mほど続く。建物はレンガむき出しで手作り感満載、なんというかスルキージョっぽい。(スルキージョはあんまり治安のいい区ではございません)

白人系富裕層が暮らす億ション街とは目と鼻の先。でもそこは、「スルコの並木道」と「森の散歩道」という名の道で隔てられている。まさに、金持ちたちが自分の見たくないものを緑のカーテンで覆い隠したような区画だ。

その辺りは昔、Río Surcoという川が流れていたらしい。川縁には貧しい人々が移り住むことが多いから、ここもそうした名残なのかも・・・と考えたりしていた。

先日の日曜。サンボルハ区を散歩していたら、ブラスバンドの賑やかな音が聞こえてきた。リズミカルで、でもどこか垢抜けていなくて・・・ ああ、これはまさしくアンデスのリズム。音の出どころは、どうやらあの植木屋通りらしい。高い塀に囲まれた広場を覗いてみると、そこにはアンデスの世界が広がっていた。

Negritos de Huánuco/ネグリートス・デ・ワヌコ(ワヌコの黒ん坊たち)中央アンデスに位置するワヌコ州は、気候穏やかな常春の地。スペイン植民地時代、ワヌコにはアフリカから連れてこられた黒人奴隷がたくさんいた。過酷な労働を強いられていた黒人たちだが、クリスマスの日だけは踊ることを許されたという。(クリスマスと復活祭の日も、という説もある)ワヌコでは毎年12月25日~1月20日ごろまで各地でフィエスタが開催されているそうだ。

中央で踊っている白ひげオヤジは「Corrochano」と呼ばれる人物。彼は老いたスペイン人貴族を表すそうだ。おどけた動きで観客を笑わせたり、黒人たちを取り仕切ったりと、なかなか重要な役らしい。

エレガントなドレス姿の「Dama(貴婦人)」をエスコートする「Turco」。Turcoとはスペイン語で「トルコ人」だが、ここではスペイン人貴族のこと。奴隷売買を行う悪い奴らなのだが、祭りでは主催者がこの大役を担う。

ネグリートス・デ・ワヌコは、幼子イエスの誕生を祝福する祭りだ。さっきまでふざけた様子で踊っていたCorrochanoが、幼子の前にやってきてうやうやしくひざまずき、神の子を称える。この炎天下に、ビニール製のマスクと重たい衣装を身に纏って何時間も踊り続ける人々。それだけでもう神への立派な捧げもの、あるいは生贄のようである。涼しい表情のイエスさまは、いったい彼らに何を与えるのだろう?あまりの暑さに、神に召されてしまいませんよう。

ここに集う人々はみな、植木屋通りとその付近に暮らすワヌコ出身者たちなのだそうだ。毎年1月の最終日曜日に、この祭りを行っていると言う。ワヌコはワンカベリカやアヤクチョと並び、ペルーで最も貧しい州の一つ。そして、テロ集団センデロ・ルミノソの犠牲になった地域でもある。農村は崩壊し、多くの命が奪われ、命からがらリマへ逃げてきたアンデスの人は多い。晴れやかな祭りの日に聞く話ではないと思い、質問はしなかったが、この一角に暮らす人々は、そうした歴史を背負っているのではないだろうか。

祭りはまだまだ続いていたが、こちらも暑さで溶けそうだったので、撮影のお礼を述べて失礼した。「また来年も見にいらっしゃい」と言ってくれたDamaに感謝。とはいえ、来年はまた違う人が主催者になるんだよね、いいのかな?(笑)

植木屋通りに出ると、ちょうどパンのお神輿を運ぶCorrochanoたちに出会った。ペルー国旗が突き刺さったタンタワワがいっぱい。この後も祭りは盛り上がっていくんだろうな。

大都会リマには、ペルー人口の約28%が集中している。支配層として先祖代々リマに暮らす富裕層から、様々な過去を背負って生きるメスティソ(白人と先住民の混血)やインディヘナ(先住民)たち。決して交じりあうことのない人々だが、わずか道一本隔てた場所で、同じように生きている。日常にあるちょっとした意外性や発見、人々の逞しさが、私をこの国へと惹きつけている。

“リマに息づくアンデスの世界” への8件の返信

  1. なんでかね、バリ舞踊と似てる気が…
    衣裳が!
    マスクはゴム製なのね~
    うう、どう考えてもこらカラダに悪そう。
    熱中症とか気つけてもらいたいもんです、いやホンマに。
    フル装着で30℃超えだと、もう立ってるだけで滝の汗だもの(経験アリ)
    手にクサリというのが奴隷の証で生々しいなぁとも思いました。自分たちの出自を忘れないのと先祖供養の意味がこめられているのかな?

  2. うんうん、すごく身体に悪そうでしょ(苦笑) 端っこでばててる踊り子君もいたよー。踊りの意味ね、もっと分かればいいんだけどな。内容としてはキリストさんの誕生を祝う+スペイン人を揶揄したり、黒人に滑稽な踊りをさせたりで、いわゆるメスティソ(スペイン&先住民の混血)とってはどういう意味があるんだろうなって思ったり。まだまだ勉強せねばならぬことが多いですぅ。

  3. ネグリートス・デ・ワヌコ、その背景にある歴史とともに現在も息づいているんですね。深いお話に、想像力をかき立てられました。

  4. 暑い中、お疲れ様でした!
    ラジオ番組、聞けなくて残念だったけど、「よそ行きの声」
    は想像出来るわ(笑)
    素敵な声よ~♪
    Huanucoの話、とても興味深いです。
    Keikoちゃんのブログや記事を読む度に、「移住とは・・・」と考えさせられます。
    日本に来て23年だけど、この国の事をあまり知ろうともしない自分が恥ずかしくなります。
    今、自分が住んでいる国を、あなたみたいに愛せたら素敵だろうね!←と、やっぱり努力しない(笑)

  5. ありがとうございます。私もこんな身近な日常でみるアンデスの風景に少し驚きました。セントロ(旧市街)ではこうしたお祭りはよくありますが、それは観光的なものを含んでいる場合が少なくないので驚くというのはないのですが。自分の故郷を大切にするっていいですよね。

  6. いやいや、想像しなくていいって(汗) 本当はちょっと低めの落ち着いた声、ってのにあこがれるんですけどねー、マイクを通すと変わってしまうのはなぜだろう… そして。まあ私の場合は本当にハマったというか、ペルーとあってるんでしょうねぇ。だんな様の仕事で外国に移住したっていう場合と、暮らしてみて好きになったから移住、ってのはやっぱり違うかも。いい悪いとかではなくね。でもElisaさんは、一般的な日本人よりよっぽど日本人らしいところがあると思いますよ(笑)

  7. 私もバリ舞踊の衣装に似てると思いました。
    踊ることって日本もそうだったけど神へ捧げるものなんですね。
    どこの国でも人間の考えることは同じってことかしら・・。
    みんな楽しそうなのがいいですね。

  8. 人は昔から踊りの中に魂を込めてきたんですね。だから踊る人だけじゃなく、観る側も惹きつけられるのでしょう。とはいえ、実際にはあまりに暑くて気の毒で、はらはらして観てたんですけどね(苦笑)

コメントは受け付けていません。

モバイルバージョンを終了