紫の月の奇跡・・・?

10月25日(火) 阪急交通社・海外現地生情報に「ペルーで闘牛観戦」が、10月29日(土) アサヒコム・世界のウチに「まとめて捨てれば怖くない?」が掲載されました!

戸数の多いアパートならなんら問題ないのだろうけど、我が家のようにこじんまりとしてみな顔見知りの場合、なんとなく気を使ってしまうのは・・・やっぱり日本人だからかなぁ(笑)

いつもデリバリーのピザの箱を捨てるあの家よりは、ワインボトルのほうがおしゃれじゃない?なんて思うのだけど。さあ、週末だ。今夜も飲むぞ~!

★★★★★★★★

El mes morado(紫の月)と呼ばれるリマの10月も、もうすぐ終わり。Señor de los Milagros(セニョール・デ・ロス・ミラグロス/奇跡の主)を称える月として紫(厳密には濃い藤色)のマントを羽織った人々が、街に溢れる。

特に週末は地域の小さな教会からも神輿が出るので、散歩中、偶然にこうした一団とすれ違うこともあり。繁華街や住宅街に突然現れる神輿に、周囲の道路が通行止めになることも。普段はいらちですぐクラクションを鳴らしまくるリマの人たちだが、この月だけは信仰心が蘇るのか、みな大人しく行列が過ぎ去るのを待つ。いつもこういう忍耐力があればいいんだけどね~。神様の前だけってのが、ちょっとねぇ(笑)

毎年恒例の近所の幼稚園による行列。威厳とか荘厳さはないけど、その代わりほのぼのとしていて、またこれもよし。子供たちもかわいいし。

さてここ数日、奇跡の主と同じような扱いを受けている青年がいる。Ciro Castillo Rojo(シロ・カスティージョ・ロホ)、4月からアレキパのコルカ渓谷で行方不明になり、先日遺体で発見された学生だ。

いくら捜索しても見つからなかった彼の遺体が、この10月になって発見されたことに「セニョール・デ・ロス・ミラグロスの奇跡だ」とする人たちも多い。テレビでしか見ていないが、標高差1000mもの崖の下から遺体を引き揚げた時は、アレキパの街は異様な興奮状態に包まれていた。

ちなみにロサリオという彼女も一緒だったが、彼女は9日後に無事発見された。ロサリオがシロの死に関与しているのでは、何かを隠しているのではとの憶測も流れ、長い間、お茶の間を騒がせ続けている。

しかし多少の増減はあるにせよ、毎日のようにシロの話題が上った背景には、シロの家族、特に父親の存在があった。息子の生存を信じ、周囲が捜索を断念する雰囲気になっても決して諦めず、メキシコの人命救助団のプロ「Topos」に要請し、マスコミにも訴え続けたその姿に理想の父親像を重ねたペルー人もいただろう。

普段はママ大好き文化なペルーだが、本来はマチスモ社会なのだ。ロサリオをネチネチと責める様子は、好きではないけどね。アレキパに一時的に保管された遺体。その安置所には大勢の人が花やロウソクを持って押しかけ、彼の遺体をリマへ搬送する時も、シロの家族が揉みくちゃになるほどの人だかり。

遺体がリマに到着してからも、まるでヒーローの到着かと思うほど人が集まっていた。シロの写真を印刷したメダルやロウソクを売る便乗商売人がすぐ湧いて出てくるところはペルーらしくて笑ってしまったが。やっと安らかな眠りにつくことができた青年シロ。彼の命日は、ロサリオとはぐれた(離れた?)とされる4月5日になっていた。

父親は、「遺体は見つかった。しかし真実はまだ分からないままだ。なぜ息子がこうなったのか、私はこれからも真実を追い求める。」と公衆の前で誓った。ロサリオにとっては、平穏な日々はまだ当分訪れないということだ。シロへ、心からの冥福を。そしてお茶の間は、この一家の話題がまだまだ続きそうです。

“紫の月の奇跡・・・?” への2件の返信

  1. 当事者に口無し、となれば真実はまさに「藪の中」となる訳で…早く事態が収拾しますように。
    行方不明の家族を捜すと聞くと、なんとなく今回の震災とダブって切ない心持が…

  2. 残された家族の気持ちを思うと、真相を解明したいというのはよく分かるけど… 心の平穏はいつ、というか。天災にせよ事故にせよ、いたたまれないものだよね。何をどうしたって、亡くなった人が帰ってくるわけじゃないから…。

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