やっぱりトイレの神様

昨日のこと。乗っていたバスが、突然中途半端な場所で停車した。乗客もいないのにおかしいなぁとフロントガラスのほうを見たら、車に轢かれた犬の死体を車道から運び出そうとするおじさんたちが見えた。どうやら前の車がひき逃げしたらしい。

数人の男に手足を捕まれ運ばれるそれは、でろんと舌を垂らし、血にまみれていた。哀れな命に手を合わしつつも、正月早々縁起が悪いなぁとつい思ってしまう。生き物の一生ってなんて儚いのだろう。

帰りのバスでは、「バスの運転が悪い!」と車内でクレームが飛び交っていた。ちゃんとバス停で止まらないし、信号が青だというのに客待ちして進まないし、変なところで猛スピードを出すし、ジグザグ走行に近い車線変更をするし。でもこれはリマのバスの通常走行だ。ある意味驚くべきことは何もない。

こういうバスが事故を起こし、人やら動物やらを簡単に轢き殺してしまうことを考えると、しっかりクレームすべきことなのは重々承知している。でもどうせ儚い人生なら、できるだけイライラせず、
なんでも笑ってさらりとやり過ごしたい。怒っても一生、笑っても一生。なら私は笑っていよう。

目くじらを立てて怒鳴っているペルー人たちを横目に、街を黄色く染める満開の花々を愛でる。なんで正月からこんなに虚しいのか。もっと気楽に生きられないものか。

夕方、ちょっとしたfbのやり取りから、突然の夕食会となった。場所は「ペルー版 トイレの神様」の店だ。庶民的ながらすこぶる上等の料理と、楽しい会話。男臭い話に花が咲く。

時折店で飼っているらしい白猫が、足元にすり寄ってくる。料理を分けてやりたかったが、脂と塩分がいっぱいだからやめた。でもお腹を空かせているのか、テーブルの下を探るように幾度となくやってきた。

さて宴もたけなわとなったところで、そろそろトイレの神様にご挨拶を。所用を済ませ挨拶をし、ついでに今回もパチリと記念撮影。ふと、トイレ横の別の扉が開いているのに気づいた。ちらりと覗くとそこには流し台があり、その奥には段ボール箱が置かれていた。流しには、大きなタライに入った血抜き中の巨大な肉の塊があった。

血の滴る肉を処理する横で人が排泄をし、髑髏がそれを見守る図はなかなかのインパクトだ。飲んで食べて出しての果てに、最後はみんなあの姿。でも、こういう光景は嫌いではない。

さっきの白猫の子らだろうか、段ボール箱の中には生まれたての子猫たちが寄り添っていた。小さな箱の世界で一生懸命に生きているか弱き生き物。時折ぷるっと震える様子すら愛おしく、なんだかとっても嬉しくなった。

新年早々悪いことなんて何もなかった。死から始まって生で終わったこの日。こいつは春から縁起がいい。トイレの神様、ありがとう。