三線とレゲエとウチナーグチ

1908年5月21日、「いつくしま丸」での51日間におよぶ長い船旅を経て、中城村人会の始祖となる字和宇慶の新垣ムタ・新垣ニワならびに字津覇の又吉ショウセイが、中城村最初の移民としてペルーの土を踏みました。

同年12月10日には字新垣から玉城タル、安里カメが到着し、サンタ・バルバラ、チュカラピ、カニェテなど様々な農園に派遣されました。

その後入植者の子や孫数百人が、様々な荘園や農園で働くため中城村から次々とペルー入りしました。彼らは艱難辛苦を乗り越えて働き、過酷な気候風土や歴史に残る逆境に耐え、幾多の困難を克服して固い絆で結ばれた今日の集団を築き上げたのです。-「中城村移民の歴史」・ペルー中城村村人会サイトより引用-

19世紀末から始まった日本人の移民には、沖縄県出身者が多く含まれています。また現在リマに数多く存在するペルー日系人の各都道府県県人会の中でも、沖縄県人会は特に組織の結束が強く、前述の中城村のように故郷との情報交換や奨学制度による留学を実施するなど、文化的交流も積極的に行われています。

その影響もあり、琉球舞踊や沖縄民謡などがリマの日系イベントで披露されることも珍しくありません。これらの琉球文化は、日系人コミュニティが開催する和太鼓や三線などの教室を通じ、ペルーの地に連綿と受け継がれています。

日系のイベントでは、安里屋ユンタなどの定番島唄を始め、夏川りみやBEGINなどのカバーがよく披露されています。個人的には、”No Woman No Cry”をぜひ演ってほしいと思っているのですが…ダメでしょうか。

日本は今夏真っ盛り。遠く離れた地で聞く三線の音色とウチナーグチ、油断しているとつい涙腺が緩んでしまいそうです。